2013年4月25日木曜日

白浜 みどり公園の子どもたち みなみこうま 2013.4.23

ひじきを干していると公園から 子どもの泣き声
しばらくすると なごとめぐがやってきて 公園であそぼ
 泣きやる子なぐさめてやって おっちゃん
このひと言で ヒジキ干しの手を止めて 公園へ
泣いている子は 昨年夏に一緒に遊んで 「とって撮って」と
突進してきた みなみ
顔をみると 本気で泣いたあとがありあり
しゃがんで おぉい 写真いっぱいとった きみか
といっても 泣き顔のままで表情がくずれない
よほど 悲しかったにちがいない

逃げるように草のある場所に走り出したので
少しは気が晴れたもよう
青色のジャングルジムの中に入った

名前なんやったかなぁ と みち、みみ、みき、みゆ、みっきー と
言っていると 笑顔になって 首を横に振る
ちがう ちがう という
そして 小さい声で
  みなみ
といってくれた
その時の写真が これ

みなみ 


八ヶ月のこうま と ひいじじ


田辺 あおい書店で出版打合せ なごめぐ 2013.4.18

4月18日 田辺あおい書店で 絵葉書で見る白浜温泉 出版の打合せ
同行したのはなごみめぐ
一時間余りの打合せの間、書店二階の古文書室で同席
奥から聞こえる犬の声 たやさんが愛犬をみせてくれて 歓声
もっと犬を見たいというと 案内してくれた

子犬をみながらカメラをみあげるなごみ

動物がだいすきなめぐ

帰りの車で コトンと眠りに 手はめぐ


白浜 なごめぐもえゆきなダンス坂田会館 2013.4.21

なごみ(左)ゆきな もえ(中) めぐ(右)





オブジェを作るなごみ

2013年4月24日水曜日

白浜 海藻 ヒジキ 2013.4.22

四月の海と二月の海との大きな違いは 海岸に打ち上げられた海藻があるかどうか
四月の海岸にはたくさんの海藻がうちあがっている
江津良海岸に打ち上がった海藻 4月22日
ヒジキ

ヒジキ

江津良海岸 春の漂着物

白浜 朝の登校 なごめぐしょうあか 2013.4.18

2013年2月27日~4月17日ひろしま
2月27日 登校するなごみとめぐにおっちゃん今日行くからねという おみやげおねがいねとめぐ


なごみめぐ 2013年2月27日

4月17日夜白浜駅着
4月18日朝の散歩から帰ると 一年生になったせいやがお母さんと一緒に登校


新一年生せいや
4月19日なぞなぞ復活 おっちゃんの好きな飲み物は? 下校してきたあかりが早速なぞなぞに

新三年生 あかり
4月19日 続いて 新四年生はながなぞなぞに

なぞなぞ復活 はな あかり

2013年3月13日水曜日

紀伊民報 白浜の海はおもしろい 2013.3.9



白浜の海はおもしろい

 二月は凍える日が続いた。白浜町には珍しい酷寒の日々だった。北風の強さといったらもう台風なみで、白浜北岸の臨海浦では風に向かって歩くことができない。後ろ向きに背中を丸めて後退歩行するとようやく歩ける。

 だが砂浜に下りて波打ち際を歩くのは面白い。トビやカモメが波打ち際に向かって下降を繰り返しているときは、そこに魚があると見ていい。3,40cmの形のいい魚が横たわっていることが多い。体形がもうひとつのフグやハゲは横たわっていても食べられていない。きゃつらも案外に世間を知っていて油断できない。

 海亀の子どもが死んで打ち上がっていることもある。そっと持ち上げて上の方まで運び砂の中に横たえる。まるで浦島太郎になったみたいな気になる。

 とはいえ打ち上がるのはゴミが多い。冷凍釣り餌のビニール袋、コンビニおにぎりのセロハン、弁当容器、ポテトチップスの袋。波打ち際にこれらがあると、異質なものだけにいやに目立つ。一気にうす汚い醜い波打ち際になる。だから二月はやっかいものを拾いながら歩いた。

 たまるゴミは手に重くなるので、ペットボトルの飲み残しはフタを開けて流す。ビニール袋に入った砂と海水はパタパタ払って落とす。絹ごし豆腐の容器に入った砂と海水はひっくり返す。かなりおおごとなのだ。しかも手が凍えてかじかんでくる。

 ある日は波打ち際で拾っているといつの間にか横に人がいてびっくりした。強風と波のせいで気づかなかったのだ。このおじさんはいつも前かがみで歩く人で、立派な前歴をしまい込んで善行にはげんでいると聞いたことがある<うわさの男>だった。がんばれよと言ってくれた。

 時には拾おうとして手を引っ込めることもある。透明ビニールごしにつかんだ犬の糞がビニールとともに捨てられている時だ。これは許せない。自分も毎日犬を散歩させるので余計にカチンときた。見ると砂浜には犬と人の足跡がくっきりとついている。追跡開始。

(2013年2月26日 声欄に寄稿)

2013年3月7日木曜日

ねえやんへの年賀状 2

 ひまわり畑がどこまでもつづくイスタンブル郊外は
土壌をよくみると石だらけの荒れ地にみえました。
 乾燥した土に熱せられた空気はマルマラ海に
向かって吹き続け、土ぼこりがまきあがります。
 空は雲のかけらもない青空。
 しかし、さらに奥に入って見た光景は、一年のうち
もっとも印象的な光景でした。
 荒れ地の向こうみ見えてきた鬱蒼とした森林の真上には
灰色の雨雲がのしかかり、おしみなく雨をそそいで
います。
 まるで神が大空に線を引いたようでした。
 荒れて地の上は雲ひとつわかないのに、森林の上では
雨雲が次から次へとわきあがっているのです。
 「山は木あるときは神気さかんなり、木なきときは
 神気衰えて、雲雨を起こすべき力少なし」
といった熊澤蕃山のことばは、トルコの空に生きていました。