2017年10月4日水曜日

紀伊民報 徳川家の礼状見つかる 白浜の旧家が保管 2017年9月16日

紀伊民報 2017年(平成29年)9月16日 紀伊文化欄

徳川家の礼状見つかる
宿泊した旅館宛て
白浜の旧家が保管

紀州徳川家の第16代当主・徳川頼貞(1892~1954)が為子夫人と熊野地方を旅行した際、宿泊した白浜温泉(白浜町)の旅館「有田屋」に宛てた礼状がこのほど、白浜町内の旧家で見つかった。厚遇を受けたことに対する礼状で、内容を確認した福山大学名誉教授の久保卓哉さん(67)=白浜町瀬戸=は「古くから栄えた温泉街の歴史の一端を知ることができる」と話している。

 頼貞が熊野地方を旅行したのは1919年。当時の様子を掲載した地方紙「牟婁新報」によると、頼貞・為子夫妻と執事の山東誠三郎、お付きの人ら計5人が5月13日に東京を出発。那智勝浦町や田辺市、御坊市、和歌山市内などを巡った後、同26日に和歌山市から帰途に就いた。有田屋には19日に宿泊した。
 礼状は幅約20センチ、長さ約160センチの巻物で山東誠三郎が書いた。「厚遇を受け夫妻はとても満足した様子だった」などと記し、為子夫人が書いた古歌の書(色紙)と書を掛ける軸とともに一つのきり箱に入れている。きり箱が送られてきた際、100円も添えられていた。
 旧家の関係者によると色紙はなくなっており、「宝物として旅館の部屋に飾っていたがなくなった、と騒ぎになったことを有田屋の親族から聞いたことがある」という。
 礼状には「1月26日」の日付があり年号はなかったが、文中に「アメリカで開かれた国際労働会議(19年10月)に出席したので礼が遅くなった」との記述があることから「20年1月26日」とみられる。
 頼貞は楽譜、音楽文献、古楽器の収集家として知られ、「音楽の殿様」と呼ばれる。妻の為子は侯爵島津忠重の妹。山東誠三郎は御坊市で育ち、慶應義塾大学を卒業後、頼貞のイギリス留学に同行。その後、徳川家の執事になり、財務部長として徳川家の事業運営に携わった。
 有田屋は明治時代から昭和初期まで続いた湯崎地区を代表する旅館の一つ。当時珍しかった木造3階建てで、多くの文化人も宿泊した。
 館主の三木善左衛門は頼貞夫妻を迎えるため、夜具や家具・道具類を全て新調した。久保さんは「徳川家の当主を迎えることがどれだけ栄誉なことで大変なことであったのか、その一端をうかがい知ることができる」と話す。また、頼貞から贈られた100円は、今の約50万円に相当するとみられるという。

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