御召の光栄に浴して
東牟婁郡大島村樫野 樫田文右衛門
六月二日は私が一生の、又私の一家松代迄の記念すべき日であります。生年八十余歳の老齢で畏くも 天皇陛下の御前に御召を受け、四十九年以前の土耳古軍艦遭難当時の模様を言上申しました。
其時は全く 陛下の御威徳に打たれて言葉も常の如くに出ぬ位であった。幸に無事御用をすませて帰宅の際忝くも御菓子を賜り、重ね重ねの光栄身に余って感激の涙が止める事が出来なかった。
陛下の御召艦を伏拝みつつ帰途についた時、自分は今少し若ければ死を以て忠義を尽くさんものをと思ふ事切りであるが、如何せん既に此の老齢なれば、せめて明治神宮、多摩御陵へ参拝して此の光栄の御礼を申し上げやうと心に誓った。
賜りし御菓子を家内其他の人々に拝ませて神前に供へ、そして明日の当地行幸を奉迎しやうと床に就いたが、本日の光栄を思ひ浮かべて感慨無量にてさすがに寝つかれねば到頭そのまま夜を明かしました。
明くれば六月三日真に行幸日和と申上げやうか好天気で奉拝者の群は早朝より奉拝場を黒山に埋めた。
午前十時頃であった。陛下には築港より御上陸遊ばされ、御歩行御快活に私共の前を御通りになって樫野崎灯台へ御向ひ遊ばされ、又昨日私が言上した土耳古軍艦遭難記念碑を天監になって御帰り遊ばされた。
私は昨日の事が思ひ出されていつしか熱い涙が止めどなく流れました。
行幸後二日にして私は早速明治神宮、多摩御陵へ参拝すべく上京しました。
今はもう私は総ての望みが叶った様、満足の喜びに満ちてゐます。
(『千載の感激』和歌山県、昭和五年六月一日発行)
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