5月30日20時30分
田尻の水路に、けいくんせいこちゃんと見に行くと20匹ほどが飛んでいた。水路に降りると水面から20センチほどのところでとまって光っているのが5匹、3匹、4匹とあるのでメスと思い採取。持ち帰り源氏ホタルか平家ホタルかの種類を見るためにケースに入れる。どのくらいくらいの範囲にいるかと水路を歩くと上流にも下流にもいるので、合わせて40匹はいると推測。持ち帰った10匹は10匹とも平家ホタルだった、ので、落胆。放流した源氏ホタルは成功しなかったのか、と。
5月31日20時30分
源氏ホタルを探すために、田尻の放流地点で観察。いたいた。点滅間隔が長く強い光を放っているホタルが。捕まえて確かめようとすると、逃げて上の方へあがって行く。上を見上げると、高い木の上に止まって光っているのが、ちらほら。
水路に被さった笹で光るのを採取。見ると源氏ホタルのメスだった。
放流した幼虫は、元気に羽化していたことがわかり、落胆が解消。
源氏ホタル,メス2,オス1,
平家ホタル、オス3
をケースに。
水路の前の草むらの上にも飛ぶ光があちこち。
メスの産卵がうまく行くかが課題。
平家ホタルのメスは、水路の壁に生えた苔に産卵しているから、源氏ホタルも産卵しそう。
2016年5月31日火曜日
2016年5月25日水曜日
ホタル ひろしま 2016.5.24
虫の飼育ケースの値段
大 500円(ダイソー) 1480円(西村ジョイ)
小 100円(ダイソー) 400円(西村ジョイ)
(透明、青色フタを600円で購入)
5月24日(月)20:15西本さんちに迎えにいく 吊り橋の上流の橋を渡り勝木に通じる道路沿いの
川へ。暗闇に30匹余りの光。川底は深くほられて両岸コンクリ。山から垂れた木の枝に光あり。
川底から枝までは高くて手がとどかず。(♀4♂4)
大 500円(ダイソー) 1480円(西村ジョイ)
小 100円(ダイソー) 400円(西村ジョイ)
(透明、青色フタを600円で購入)
5月24日(月)20:15西本さんちに迎えにいく 吊り橋の上流の橋を渡り勝木に通じる道路沿いの
川へ。暗闇に30匹余りの光。川底は深くほられて両岸コンクリ。山から垂れた木の枝に光あり。
川底から枝までは高くて手がとどかず。(♀4♂4)
2016年5月23日月曜日
白浜 ホタル飛ぶ 2016.5.23
せいこちゃんから入信(5月23日)
「わっ 飛んでる」と声をあげるくらい光があちこちに。
道路に立って道路から50mほど離れた放流地点をしばらく見ていたら
遠くなのに 光っているのが見えた。
20匹以上かなと思える数。
自転車を出そうと庭に出て砂利の上を行くと 家の裏にホタルが光っていたので
カゴにいれてその1匹を たんじりの水路で放した
(倉庫においていた発泡スチロールの箱から 上陸して羽化したみたい)
「わっ 飛んでる」と声をあげるくらい光があちこちに。
道路に立って道路から50mほど離れた放流地点をしばらく見ていたら
遠くなのに 光っているのが見えた。
20匹以上かなと思える数。
自転車を出そうと庭に出て砂利の上を行くと 家の裏にホタルが光っていたので
カゴにいれてその1匹を たんじりの水路で放した
(倉庫においていた発泡スチロールの箱から 上陸して羽化したみたい)
2016年5月20日金曜日
ひろしま ホタル飛ぶ 2016.5.18~
白浜で放流箱から引き上げた幼虫と 放流に適するまで大きくなっていなかった白浜の幼虫を ビニール袋につめて新幹線に乗せてひろしまに運んできた。(4月20日)
それを 発泡スチロールの箱に入れて 飼育をしていたところ なんと 5月17日の夜 庭でホタルが1匹 光っているではないか。
発泡スチロールの箱から這い出て 羽化したとしか考えられない。その1匹は 残念ながら♂だった。
5月18日 夜になって庭にでてみると いるいる 6匹も光っているではないか。地面を這っているのもいたから そのホタルは 土の中から出てきたばかりかもしれない。 残念ながら6匹とも♂だった。
5月19日 庭に続いている山の斜面に光っていたので 手で採取。♂1匹。
5月20日 今日は何匹光っているかと探してみると いたいた。地面をよろよろと歩いて光るホタルが1匹。これも残念ながら♂だった。
5月18日 ♂1匹
5月19日 ♂6
5月20日 ♂1
5月21日 ♂1匹
5月22日 ♂2匹
5月23日 ♂1匹 勝木への道路下で ♀4 ♂4
5月24日 ♂1匹
(水苔を敷いた飼育ケースに入れる)
5月25日 ♂3
5月26日 ♂3
5月27日 ♂2
6月3日 3
6月9日 ♂3 ♀1 ついにメスを確認
6月10日 ♂2
6月13日 ♂1
それを 発泡スチロールの箱に入れて 飼育をしていたところ なんと 5月17日の夜 庭でホタルが1匹 光っているではないか。
発泡スチロールの箱から這い出て 羽化したとしか考えられない。その1匹は 残念ながら♂だった。
5月18日 夜になって庭にでてみると いるいる 6匹も光っているではないか。地面を這っているのもいたから そのホタルは 土の中から出てきたばかりかもしれない。 残念ながら6匹とも♂だった。
5月19日 庭に続いている山の斜面に光っていたので 手で採取。♂1匹。
5月20日 今日は何匹光っているかと探してみると いたいた。地面をよろよろと歩いて光るホタルが1匹。これも残念ながら♂だった。
5月18日 ♂1匹
5月19日 ♂6
5月20日 ♂1
5月21日 ♂1匹
5月22日 ♂2匹
5月23日 ♂1匹 勝木への道路下で ♀4 ♂4
5月24日 ♂1匹
(水苔を敷いた飼育ケースに入れる)
5月25日 ♂3
5月26日 ♂3
5月27日 ♂2
6月3日 3
6月9日 ♂3 ♀1 ついにメスを確認
6月10日 ♂2
6月13日 ♂1
白浜 ホタル 飛ぶ 2016.5.13~
3月12日に子どもたちと放流した幼虫が、無事に羽化して飛び始めた。
【せいこちゃんのレポート】
5月13日 夜8時ころ水路に行って見ると 10匹以上は光っていた。水の流れに沿って飛んでいるものや 水路に垂れた笹の葉に止まっているのや 草むらで光っていた。
数えても途中で数がわからなくなったので 数えるのを止めたけれど 10匹以上だった。
5月14日 夜8時半ころ水路に行って見ると 元気に飛んでいた。
5月15日 晴美ちゃんそごうさんと三人で見に行ったら 沢山飛んでいた。大きな沼の方までパラパラと飛んでいた。 15匹はあったかな。
5月18日 けいくんたちと見に行った。沢山あったよ。ふみのも「ほたる ほたる」と言っていたよ。
======= ========= ============
【放流幼虫の数と 上陸幼虫の数】
3月12日 352匹の幼虫を放流
4月19日 放流箱3つを引き上げて 中に残っている幼虫を数えたところ 沈殿した泥の中に
67匹がいた。ということは285匹が放流箱から出て水路の壁
を登って土の中にもぐったことになる。だが 箱の中には 3匹のカニと 3匹の
アメリカザリガニの子どもがいたから きゃつらが幼虫を食べた可能性があるので
285匹すべてが 上陸したとは言えない。
【せいこちゃんのレポート】
5月13日 夜8時ころ水路に行って見ると 10匹以上は光っていた。水の流れに沿って飛んでいるものや 水路に垂れた笹の葉に止まっているのや 草むらで光っていた。
数えても途中で数がわからなくなったので 数えるのを止めたけれど 10匹以上だった。
5月14日 夜8時半ころ水路に行って見ると 元気に飛んでいた。
5月15日 晴美ちゃんそごうさんと三人で見に行ったら 沢山飛んでいた。大きな沼の方までパラパラと飛んでいた。 15匹はあったかな。
5月18日 けいくんたちと見に行った。沢山あったよ。ふみのも「ほたる ほたる」と言っていたよ。
======= ========= ============
【放流幼虫の数と 上陸幼虫の数】
3月12日 352匹の幼虫を放流
4月19日 放流箱3つを引き上げて 中に残っている幼虫を数えたところ 沈殿した泥の中に
67匹がいた。ということは285匹が放流箱から出て水路の壁
を登って土の中にもぐったことになる。だが 箱の中には 3匹のカニと 3匹の
アメリカザリガニの子どもがいたから きゃつらが幼虫を食べた可能性があるので
285匹すべてが 上陸したとは言えない。
2016年5月19日木曜日
紀伊民報「白浜の記憶遺産」「アカ芋」 2016.5.18
白浜町瀬戸の藪本近衛さんが所有する『アカ芋』は 「白浜の記憶遺産」だと
紀伊民報で報道されました
【100年前の同人誌】
【白浜の記憶遺産】
【 「赤芋」を調査】
100年前に創刊され、昭和中期まで白浜町の瀬戸地区で作られた文芸同人誌「赤芋(またはアカ芋)」(1~33号)を、主編集人だった故・藪本不動庵(本名・近蔵)さん=白浜町瀬戸=の長女が大切に保管している。
同誌は発行中もごく限られた人にしか知られていなかった。
同誌を調べている福山大学名誉教授(中国文学)の久保卓哉さん(69)=同町瀬戸=は「白浜温泉にとって資料性の高い文献も収められており、白浜の記憶遺産といえる」と評価している。
「赤芋」は、同人の自筆原稿をそのまま製本しており、各号1冊しかない、いわゆる「天下の孤本」。筆で和紙などに書いた原稿を「こより」で中とじし、製本している。
表紙は厚紙で、アカイモや円月島などの絵と「赤芋」「アカ芋」の題字を書いている。
1916年12月に創刊され、32年までに32号を刊行。
その後18年間空白があり、最終号の33号は50年12月に刊行された。12号と32号は紛失したのか保管されていない。
同人は徐々に増え、瀬戸地区だけでなく田辺や京阪神からも参加。多い時で33人の寄稿が確認されている。
小説、紀行、漫画、俳句、地域の便り、地元の絵、新聞の切り抜きなど内容は多様。当初は100ページほどだったが最盛期は400ページを超えた。
同人、希望者ら限られた人たちの間で回し読みされた。
瀬戸地区内での出来事が細かく書き込まれた文章もあり、京阪神へ働きに出た人たちに古里の近況を知らせる役目を果たした。また、「熊野三所神社境内絵図」(20年)や「鉛山鉱山見物記」(19年)など資料性の高い文献も含まれている。
不動庵さんは旧白浜町の収入役を務め、55年5月に65歳で亡くなった。大阪市出身の俳人・松瀬青々氏主宰の「倦鳥」に出句し、松瀬氏もたびたび白浜を訪れた。
保管している長女の藪本近衛さん(90)=同町瀬戸=は「母が大事に扱い、守ってきた。親族が読むために持ち帰っても、よく返本の催促をしていた」と笑う。三女の守衛さん(85)=田辺市新庄町=は「母から門外不出と言われていた。今年が創刊から100年目に当たるのですね」と感慨深げに話す。
久保さんは田辺市出身。幼年期から小学6年までを白浜町御幸通りで過ごした。大学では小説家・翻訳家・思想家の魯迅を研究。小学校の同級生に「アカ芋」を教えられ、今年1月から調べている。
久保さんは「芥川龍之介や谷崎潤一郎、佐藤春夫らが活躍した同じ時期に半農半漁の小集落だった瀬戸地区で、青年らが文芸誌を創刊し、文学を通じて互いに教養を高め合っていたことと同人の皆さんの教養の高さに驚かされた。しかも変体仮名で書かれた詩文は美しい」と話す。
また、「アカ芋は各号1冊しかないので紛失、散逸、劣化を防ぐ必要がある。そのためにも写真本を製本し復刻版が作れれば」と保全の必要性を強調している。
同町教育委員会は「何らかの対応を検討したい」としている。
登録:
投稿 (Atom)