2016年3月31日木曜日

曽我廼屋文童 そがのやぶんどう 白浜に来る 2016.3.28

曽我廼屋文童は白浜出身で白浜第一小学校と白浜中学校で 私たちと机を並べて学んだ
授業が終って下校するときは わいわいあそびながら道草をくって一緒に帰り 家についても
そのまま近くで遊んだ
小学校で教えてくれた浅利至先生(現在94歳)にとっては 文童は自慢の教え子で 浅利先生の家には 文童が出演したテレビの録画がそろっている 
浅利先生の家に行くと 必ずその録画をだして 「見てみるか 脇田が出ている」 と言いながら もう見ました と答えるのも聞かず テープを回す

同級生の浜崎はじめちゃんも同じで 「おいこの前テレビつけたら文童出とったぞ 見たか 今あのドラマしいないさか 前の再放送やと思うけど 文童うまいなあ たいしたやっちゃ」
とうれしそうに自慢する 
文童と幼なじみ 文童と同級生ということがたまらなくうれしいのだ

文童は 特別に与えられた楽屋を一人で使う役者になった
その楽屋にふさわしい暖簾を作って文童に贈ろう と 古くからの親友が立ち上がって
寄付を集め のれんの色とデザインを考え のれんに書く文字を能筆の書家が揮毫した
揮毫したのは日本に名を知られた紀州の書家で 弓庵に棲むこの人も 文童の同級生なのだ

文童を白浜に迎えて 出来上がったのれんを手渡した場所は 小学校時代の担任の先生 国本多壽枝先生の しらら であった
国本先生は まずは寄付を集めなければと 多くの人の家を訪ねて 繰り返し足を運んだ
その使命感とあふれる熱意は 南紀白浜の町を地震がおそったように揺さぶった

この美談をマスコミが見逃すわけはない
新聞は紀伊民報の記者がかけつけ テレビは和歌山テレビのカメラマンがかけつけた






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