桑山玉洲の絵
白浜温泉の塔島に、三つの洞穴があると書いた祇園南海の「鉛山紀行」と、その洞穴を詠んだ漢詩「游灘渡」を裏付ける絵が見つかった。それを知ったときは眼が飛び出るほど驚いた。ここに掲げた「鉛山勝概」図巻がその絵だ。(画像は和歌山県立博物館図録『特別展
桑山玉洲のアトリエ-紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る-』2013年4月27日発行による)
この絵が和歌山県立博物館に展示されていると知らせてくれたのは多屋朋三氏だった。丁度本書の原稿をあおい書店の二階に持参した日で、私は前夜に祇園南海の「三洞玲瓏、宛如牕牖」を取り上げて<あとがき>を書いたばかりであったから思わず声をあげた。
本書が掲載する大正時代の絵葉書の塔島に洞穴はない。だが、過去の史料が伝える塔島には洞穴があり、穴の数は三から一まで、年を経るにつれ減少してきた。それをまとめると次のようになる。
【塔島の洞穴を記録した史料】
洞穴の数
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史料
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作者
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描写
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年代
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三
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鉛山紀行
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祇園南海 漢文
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「三洞玲瓏」
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享保18年(1733)
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三
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游灘渡
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祇園南海 漢詩
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「唐嶼三窓」 「石門一穴」
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享保18年(1733)
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三
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鉛山勝概
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桑山玉洲 絵画
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三窓と石門一穴
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寛政5年(1793))
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三
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三山紀略
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菊池西皐 漢文
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唐嶼「有三牕」
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享和2年(1802)
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二
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温泉の日記
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蘭秀 絵画
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目鑑岩 二穴
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天保5年(1834)
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一
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瀬戸古事
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雑賀家所伝古文書
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とう島「二ツ岩に穴有、但し此頃右之穴一ツかけたり、今ハ穴一ツなり」
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天保5年(1834)以降の作
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一
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西国三十三所名所図会
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松川半山 絵画
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トウシマ 一穴
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嘉永元年(1848)
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桑山玉洲の絵は、塔島に三つの洞穴があったことを証明する。この絵を見出した和歌山県立博物館と同館の安永拓世氏の功績は計り知れないほど大きい。安永拓世氏が執筆した図録の解説は秀逸で研究の深さとその成果がよく分る。また図録に桑山玉洲の絵と南紀白浜の景勝地との関係を寄稿した白浜町教育委員会学芸員の佐藤淳一氏のコラムも読みごたえがある。
白浜温泉の美しさを余すことなく描いた桑山玉洲の絵は拡げると5メートルに及ぶ巻物である。白浜町はかけがえのない文物に出あったことになる。
久 保 卓 哉 2013年5月18日 記
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