紀伊民報 2013年6月1日土曜日
【塔島の穴は三つだった】
【桑山玉洲の絵巻で判明】
【地元史家ら指摘】
【白浜・番所の崎沖】
白浜町瀬戸、番所の崎沖にある塔島が、江戸時代には三つの穴(海蝕道)がある
一つの島だったことが田辺市湊、あおい書店の多屋朋三氏や同町瀬戸の福山大学
名誉教授、久保卓哉さんらの調べで分かった。江戸時代に活躍した和歌山市出身
の文人画家、桑山玉洲(1746~99)の絵巻に描かれていた。
塔島は、番所の崎にある南方熊楠記念館から北約250㍍に位置する二つの島。穴はない。
久保さんによると、塔島の穴について記した漢詩や漢文、絵図の史料はいくつかあり、
江戸時代に紀州藩に仕えた儒学者で、文人画家だった祇園南海の漢文「鉛山紀行」
(1733年)と漢詩「游灘渡」(同)に穴は三つとある。その後、時代が進むにつれて文献に
残されている穴の数は二つに減り、1848年作の「西国三十三所名所図会」では一つに
なっている。
このほど、和歌山市の県立博物館で桑山玉洲の展覧会が始まり(6月2日まで)、多屋さ
んが知人から塔島の風景がある絵巻が展示されていることを聞き、実物を確認したとこ
ろ穴が三つ描かれていた。
絵巻は1793年の作「鉛山勝概図巻」(縦28.6㌢、横約5㍍)。紀伊藩の医者だった友人ら
と白浜に旅行した時に、船上から見た風景をスケッチして仕上げたとみられる。
県立博物館の安永拓世学芸員によると、ことし2月、古美術商がこの絵巻を所有してい
ることを知り、展覧会で展示するため借りた。保存状態がよく、玉洲の代表作で一級の
史料という。絵巻には塔島のほかに三段壁、千畳敷、湯崎、瀬戸、円月島などの景勝地
も描かれている。
絵巻には穴が四つあるように見えるが、展示会の図録にコラムを寄せた白浜町教育
委員会の佐藤純一学芸員は「左端は、現在も番所の崎にある石門。塔島の穴と重ねる
ように描いたのでは」と解説する。さらに「塔島は円月島と同じ約1500万年前のれき岩が
主体の崩れやすい岩でできている。昔は三つの穴があったが、風化でなくなったと考え
られる」と話す。
久保さんは「塔島は、窓が空いているように見える三つの空洞をもつ島だったことが
鉛山紀行に書かれていたが、その風景を描いた絵はこれまで見つかっていなかった。
史料を裏付ける絵巻がみつかり驚いた」と感慨深げで、多屋さんも「この絵巻が見つ
かったことで、穴は三つだったことが証明された」と話している。
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紀伊民報 2013.6.1 |