石見銀の積出し港 温泉津(ゆのつ)の温泉街に沢陶器店という小さな店がある。
ふらりと立ち寄り、中に入ったが誰もいない。ガラス棚の中をのぞいていると、いつのまにか小柄なお婆さんが橫に立った。物腰と表情からしてこの店の人だと思われた。一つ一つをゆっくり見ていた私は、何か聞いてみなければ、と思い、「この黒いお椀は丼用ですか」と聞いた。丼にしては小さかったからだ。「どんぶりでもいいですし、お好きなように」 「この花皿は食べ物用か、飾り用かどっちですか」「これもどちらでもお好きなように」
これが話の発端だった。お婆さんはガラス棚を指さして細長い水差しを示しながら「これはちょっと変わっています。持つところが羽になって、觜から水が出ます。頭が鶏で、水切れがよくて垂れません」「もう亡くなりましたが、その人の作品です」「値段はどれくらいしますか」「これは3万円です」
ガラス棚を回って隣の棚に私を導きながら「これもその人の作品です」と小さなぐい呑みを出して見せた。「この色をみてください。夕焼けのような赤みのなかに、光の帯が幾筋も下に向かっているようでしょ。この形が特徴です。口にあてるところが少し開いて口に当たりやすくなって、底に手を添えると、細かい土を選んでいますから、ざらざらしていません。温泉津の土の特別細かい土を自分で取りに行ってそれで作っています」糸底を私に示しながら、糸底をさわれという。灰色の糸底は肌のように滑らかだった。
亡くなったという人の名を聞くと、「しょうけいざんという人です。松のしょう、けいはさんずいに谷の溪、松溪山と書きます。私は87歳ですが、私より7つ下で、癌が来ました。江津の病院に入院していましたが、ここまでタクシーで帰ってきて、すぐに窯に火を入れなければ、と元気でした。七日後に亡くなりました」
ぐい呑みの美しさに惹かれて「この値段はどれくらいですか」と聞くと「売れないんです。もうこれだけしか残っていなくて」 そういうと、これも、これもとガラス棚から松溪山の作品を出して見せてくれた。裏返して底をみると、みな「非売品」と書かれた値段票が貼ってあった。
「ここに並んでいる壷の中に一つだけ松溪山のものがあります。どれかあててみてください」
フタ付きの梅干し壷のようなものが五つ六つ並んでいた。一つ一つに顔を近づけてみたが、どれか見分けが付かなかった。
すると、「これを手にもって重さを見て下さい」と指さされた壷を両手に持つと、びっくりするほど軽かった。胴回りのふくらみが土星の輪のように丸く張っていた。フタを取って中に指を入れ厚みを見てみた。数ミリしかない。
「これと比べてみてください」
橫の同じような壷を持つと、その重いこと。厚みの厚いこと。
「ここで生れ育って、焼き物ひとすじの人でした。どこにもない色と形を創り出したと思います」
もしかするとこのお婆さんの御主人?と頭をよぎったが、そう感じさせる表情を見せなかった。
この温泉津焼の陶芸家、松溪山の名は山本梅雄という、とお婆さんは教えてくれた。
「これと同じ壷を店に置きたいと、土地の窯元に頼んでも、これだけのものは造れませんといいます」
私は目の前の壷が欲しくなった。梅干し、辣韮、たくあん、塩昆布。そんなものを入れておくのに丁度いい。
「これは値段はどれくらいですか」と聞いてみた。お婆さんは「1200円に消費税で1260円です」という。
一つしかない遺作であるのに、惜しげもなく売ってくれる幸運に感謝しつつ、私はすぐに支払った。
それがこの沢陶器店である。
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