紀伊民報 2014. 9. 20 |
「祇園南海の詩文と桑山玉洲の絵画」
江戸時代の白浜温泉について書かれた漢詩や書画を取り上げ、解説した『祇園南海の詩文と桑山玉洲の絵画―江戸期の白浜名所漢詩巻』(A4版84ページ)がこのほど、田辺市湊の「あおい書店」から出版された。2200円(税込み)。150部
同書店が所有する目良碧斎(1826~95)の原資料を基に編集。碧斎は田辺の医師で、江戸時代から明治時代に活躍した文人墨客としても知られている。
「祇園南海の詩文・・・」では福山大学名誉教授(中国文学)の久保卓哉さん(67)=白浜町瀬戸=が、紀州藩に仕えた儒学者で文人画家・祇園南海(1677~1751)の「鉛山七境詩」と初代県知事で漢詩人・津田正臣(香巌)(1841~96)の「倣南海先生七境題目更撰五景詩」、志士・漢詩人の菊池海荘(海叟)(1799~1881)の「龍門石詩」を分かりやすく丁寧に解説している。
また、文人画家・桑山玉洲(1746~99)の「鉛山勝概図巻」に三つの洞穴がある塔島の絵が描かれているのを基に、塔島と洞穴の数の変遷についても考察している。
久保さんは祇園南海の紀行文「鉛山紀行」で、番所崎沖にある塔島について三つの洞穴が連なっていると描写されているのを見つけ、初めて「江戸時代の塔島には三つの穴が空いていた」とする論文を2007年に発表していた。
塔島は現在、海上に岩山が突き出ているだけで洞穴はなく、風化で崩落したとみられている。
県立博物館(和歌山市)が13年に玉洲の特別展を催した際、三つの洞穴を描いた塔島の絵が展示され、南海の記述を裏付ける絵が見つかったとして注目された。
ほかに同町瀬戸出身の書家、弓場龍渓さん(67)=日高町=が祇園南海の七境詩の臨書と七境詩の地(白良浜、崎の湯、千畳敷・芝雲石、千畳敷・龍口巖、湯崎温泉の丘・行宮址、湯崎温泉の丘・薬王林、平草原)を訪れて描いた日本画も収録している。